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フェルナンド・アロンソのF1キャリアを振り返る【戦績、名言、トリビア】

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現在マクラーレンのドライバーであるフェルナンド・アロンソは2019年はF1に参戦しないことを発表した。

アロンソは2001年に19歳の若さでF1デビュー。2005年に史上最年少でF1王者になり、翌年もタイトルを獲得。

しかしキャリア中盤以降は厳しいシーズンが続き、ライバルのハミルトンやベッテルがタイトルを4度も獲得しているのに対し、アロンソは2度に止まった。

アロンソのような才能のあるドライバーがなぜ3度目のタイトルを取れなかったのだろうか?運が無かったから?それともキャリア選択を誤ったから?
そこでアロンソの2001年F1デビューから2018年までの長いF1キャリアを振り返ってみることにした。

フェルナンド・アロンソとは

スペイン出身のレーサー。2005年、2006年F1ワールドチャンピオン。2018年ル・マン24時間レース勝者。F1界では「現役最強ドライバー」と呼ばれるほど評価が高い。歯に衣着せぬ物言いをする人物で、チームに対する厳しい批判がたびたびメディアの話題を呼んだ。 

F1キャリア 2001-2018

ミナルディ (2001)

開幕戦オーストラリアで19歳という若さでF1デビューを果たす。
2001年はポイント獲得こそならなかったものの、非力なミナルディのマシンで印象的な走りをして関係者から注目された。

  選手権 優勝 PP
2001 23位(0P) 0 0

ルノー第1期 (2002-2006)

アロンソと言えばブルーのカラーリングのルノーを思い浮かべる人も多いだろう。彼のF1キャリアの中で最も成功した時期である。

ミナルディで走った翌年から自身のマネージャーであるフラビオ・ブリアトーレが代表を務めるルノーに加入。2002年はテストドライバーとして過ごしたが、2003年からレースドライバーとて選手権に参戦。
2005年に史上最年少のワールドチャンピオンになり、翌年はフェラーリのミハエル・シューマッハと最終戦ブラジルGPまで続いたタイトル争いに勝ち、当時の史上最年少のダブルチャンピオンになった。

  選手権 優勝 PP
2003 6位(55P) 1 2
2004 4位(59P) 0 1
2005 1位(133P) 7 6
2006 1位(134P) 7 6

 

【シューマッハと名勝負をした2005サンマリノGP】

アロンソとシュ-マッハが激戦を演じたF1史に残る名レース。レース終盤、後方から追い上げてきたフェラーリのシューマッハをアロンソが13周にわたって抑え込み優勝。チェッカーフラッグ時のアロンソとシューマッハの差はたったのコンマ2秒。

マクラーレン第1期 (2007)

ルノーで王者になった翌年、アロンソは名門マクラーレンに加入。チームメイトはルーキーでGP2王者のハミルトン。この年、アロンソはハミルトンとF1史に残る壮絶なチームメイトバトルを演じた。 

最終戦ブラジルGPはこの二人にフェラーリのライコネンを加えた三つ巴のタイトル決定戦になった。レースではライコネンが優勝し、結局アロンソは1点差でタイトルを逃した。
ハミルトンとの確執、チーム代表ロン・デニスとの対立、スパイ騒動・・・マクラーレンで過ごした2007年シーズンはアロンソにとって辛い思い出になってしまった。シーズン終了後、アロンソは当初3年だったマクラーレンとの契約を1年で破棄し古巣のルノーに戻ることにした。

  選手権 優勝 PP
2007 3位(109P) 4 2

【物議を醸した2007ハンガリーGP予選】
シーズン序盤から対抗意識を燃やしてハミルトンと争っていたアロンソだったが、一線を越えてしまったのがハンガリーGP。予選Q3の終盤、アロンソがピットに留まりハミルトンの最終アタックを妨害。5グリッド降格ペナルティを受ける。レースはハミルトンが優勝し、アロンソは4位で終えた。その3戦後のベルギーGPではスタート直後のオールージュに2台同時に飛び込むという衝撃的なシーンもあった。

ルノー第2期 (2008-2009)

古巣のルノーに戻ってきたアロンソ。しかし当時のルノーには全盛期のような競争力はなかった。レースでは中団グループで走る事が多く、厳しいシーズンを過ごすことになる。それでも2008年の終盤6戦では優勝2回、2位1回、4位2回でフィニッシュして他のだれよりも多くポイントを獲得してみせた。翌年2009は優勝0回に終わり、わずか2年でルノーを去る決断をする。

  選手権 優勝 PP
2008 5位(61P) 2 0
2009 9位(26P) 0 1

フェラーリ (2010-2014)

名門フェラーリに加入。しかしこの年からレッドブル全盛期が始まったため、アロンソは苦戦を強いられることになる。フェラーリで5年間戦ったアロンソだったが結局タイトルは一度も取れなかった。それでも2010年と2012年はレッドブルから一歩遅れを取ったマシンで最終戦までベッテルとタイトルを争った。

  選手権 優勝 PP
2010 2位(252P) 5 2
2011 4位(257P) 1 0
2012 2位(278P) 3 2
2013 2位(242P) 2 0
2014 6位(161P) 0 0

マクラーレン第2期 (2015-2018)

過去に決別したマクラーレンに戻ってきたアロンソだったが、最初の3年間はホンダPUの信頼性不足とパワー不足に悩まされ散々な結果に終わった。ルノーエンジンに変わった2018年もマシンの戦闘力はあまり変わらず、モチベーションを無くしたアロンソは2018年限りでF1から引退することを決めた。

  選手権 優勝 PP
2015 17位(11P) 0 0
2016 10位(54P) 0 0
2017 16位(17P) 0 0

「現役最強ドライバー」と呼ばれる理由

多くのドライバーやF1関係者が口を揃えてアロンソのことを「現役最強ドライバー」と呼んでいる。
それは彼があらゆる部分において高い能力を備えているドライバーだからだ。
レース運びの巧さ、ミスの少なさ、予選一発の速さ、雨でのドライビング。どの分野においてもF1ドライバーの中ではトップクラス。

アロンソの一番優れているところはどんな状況や環境でもマシンから限界を引き出せる能力だろう。

アロンソの名言&傑作無線

「スペインでのこの勝利はこれまでで最高の勝利」

「今の感情を言葉で表すのは難しい。ホームレースで勝つということはとてもユニークで特別な気持ちになる。ルノーで走った2006年バルセロナでその機会が得たことがある。今でもあの瞬間を覚えている。でも今フェラーリで、赤く染まったグランドスタンドの前で優勝した。とても誇りに思う。感激度でいうと、スペインでのこの勝利はこれまでで最高の勝利だ。他と比較できない。」

【2012ヨーロッパGP】アロンソの母国スペインのバレンシアで行われた大波乱のレース。11番手スタートのアロンソが母国スペインで見事な優勝を遂げた。ウィニングラップでアロンソは観客席の前にフェラーリを止め、スペイン国旗を振りながら喜びを爆発させた。


「ミハエルと戦えたのは素晴らしかった。僕にとって名誉だった」

「ミハエルと戦えたのは素晴らしかった。僕にとって名誉だった。
2005年に言ったけど、この選手権が世間から受ける評価や認識のためにミハエルがいる間に王者になることが重要だった。でもみんなは2005年に僕らは直接対決していないと言った。今年はずっと僕とミハエルの戦いだ。歴史の教科書にはシューマッハが参戦した最後の2年間の選手権はアロンソが勝ったと書かれる。僕はそれを誇りに思う。ミハエルと戦えたのは光栄だった。」 

 2006年のシーズン終了後、シューマッハとのレースについて語るアロンソ。この年を最後にシューマッハはF1から引退することを決めていた。(シューマッハは3年間の休養後、2010年にメルセデスからF1に復帰している)


「GP2エンジン」

「これはGP2エンジンだ。GP2・・・あああ!」

【2015年日本GP】非力なマクラーレン・ホンダで戦った3年間、アロンソは数々の辛辣な言葉を無線で発したが最も有名なのがこれだろう。非力なホンダエンジンを下位カテゴリーのエンジンに例えて怒りをあらわ。

「5秒なんてジョークだろ」

アロンソ:パーマーは何やってるんだ?!シケインをカットしたんだから順位戻してくれよ。
マクラーレン:パーマーに5秒ペナルティーだ。
ア:5秒なんてジョークだろ。とんだジョークだ!


ア:パーマーの順位は?
マ:彼はリタイアした。
ア:カルマ!

 【2017年イタリアGP】アロンソとパーマーは12番手を巡って争っていた。両者が第2シケインにサイドバイサイドで突入したとき、パーマーはロックさせてシケインをショートカットしてアロンソの前でコースに復帰する。しかしパーマーは順位を元に戻さなかったため5秒のタイムペナルティを受ける。そしてこのペナルティに納得のいかないアロンソは無線で怒りをあらわにした・・・

「俺たちは戦える」

「みんなよくやった。誇りに思うよ。長い冬、長いシーズンを過ごしてきた。でもようやく戦える。僕らは戦えるんだ。」

Alonso: “Well done guys, very proud of you. Long winter, long seasons in the past, but now we can fight. We can fight.”

マクラーレンがルノーと組んだ2018年最初のレースで5位入賞。上出来の結果に嬉しさを隠しきれないようす。

トリビア

サムライ:侍が大好き。2012年には背中にサムライのタトゥーを入れたとインタビューで話す。「葉隠」を読んで武士道に開眼したと言われている。

Kimoa: 2017年にアロンソが友人たちと共に創設したファッションブランド。2018はマクラーレンとパートナーシップを結んでいてマクラーレンのマシンにはKimoaのロゴが載っている。

バツイチ:2006年にスペイン人歌手のラケル・デル・ロサリオと結婚したが5年後に離婚している。二人の間に子供はいない。

マルチリンガル:スペイン語の他にフランス語、英語、イタリア語を話せる。2007年ヨーロッパGPでは激しいバトルをしたマッサとイタリア語で口論している姿が国際映像に映し出される。